最近の高校生に思うこと。
「やらない自分に興味を持ってください。」という感覚
「やらない自分はカッコイイ。」という感覚
そして、その感覚に周りを巻き込もうとする存在が目立つ気がします。
良く小学生ぐらいの子が、好きな子に対してあえて冷たく接したりしますが、高校生にもなってまだその手法を使っている者がたくさんいます。
多分、いままで他人と比べて秀でた何かを持ち合わせなくてそうしなくては先生の氣を引けなかった悲しい子なのでしょう。何もしないで困った態度をとっていれば誰かが声をかけてくれて氣にかけてくれる。それをひたすら待ち続ける人生すべてが受け身な人間。
社会は教員に対してそういった人間も氣をかけることを期待しているかもしれなが、私は個人的にはそうは思わない。
なぜなら、社会がそうではないからだ。
社会は何も自分から他人に声がけをして、自主的に動けない人間に対してどのような態度をするだろうか。正直、「つかえない。」という評価しか待っていないと思う。
しかし、高校教育まで氣にかけてもらっていたその子は、「なぜ困っている私に氣をかけてくれないと。」と社会のせいにする。
それではその子がかわいそうだ。
なので、私はやる選択をする人間をとことん評価することに決めている。自分から動けない人間に対しては何もしない。これは、その子にとって一番大切な教育だと考えている。
野球とは関係のない話ではなく、野球も教育の一環だと思っているので指導者の皆さんも参考にしてもらえればと思う。