采配 落合博満
今回は第4章です。
「本物のリーダーとは」
ー任せるところは、1ミリーも残らず任せ切るー
「森コーチの采配にすべての責任を負う」のは監督である私の仕事だと思っている。責任まで押しつけてはいけない。
何でも自分でやらなければ気が済まないと動き回る監督ほど失敗するとうものがあった。
ー気心と信頼は別物ー
仕事というものは、一枚の絵(成果や目標)を完成させようと取り組むものだろう。経験や個性という色をいくつも使いながら、一人でも多くの人に感動してもらえるような絵を描こうとする。すると、そのプロセスにおいては、ひとつでも多くの色が必要だと気づく。自分がもっていない色ーあれやこれやと人材を求め、「ここに使う色はこれでいいのか」「もっと違う色で描いたほうがいいのか」と試行錯誤しながら絵を完成させていく。同じような色はいくつもいらない。
ー「いつもと違う」にどれだけ気づけるかー
勝利に結びつくよう采配を振るわけだが、その際に大切なのは、グラウンドの中にある情報をどれだけ感じ取れるかということだろう。そこで邪魔になるのが固定概念である。
彼らの表情あ動き方を見ている中で、どうも普段とは違うんじゃないかと感じることができれば、頭がその理由を探ろうと動き出す。つまり、視覚でとらえている映像は同じでも、固定概念を取り除けば、さまざまな情報が得られることが多いのだ。
ー安定感より停滞感のほうがリスクー
レギュラークラスの選手からは、”慣れによる停滞”を取り除かなければいけない。
慣れている安定感を前面に出すか、慣れによる停滞を取り除くか。組織を活性化するための配置転換は難しいものだし、すぐに結果が出るとは限らない。だからこそ、指揮官はしっかりと決断し、実行したのならば最後まで責任を取るべきだろう。
ーレギュラー争いは、選手同士で決着をつけるー
絶対的なレギュラーは、監督やコーチが決めるものではない。
経験や信頼というよりも「誰が見てもレギュラーにする」という答えを出したのである。
ー現場の長は、「いつも」ではなく「たまに」見よー
コーチは毎日の練習をじっくり観察し、必要があれば選手のアドバイスをしていく。では、現場の責任者である私はどうするか。「たまにしか見ない」ことが大切なのではないかと思っている。
「やるべきことさえやってくれれば、その方法やかける時間は任せるよ」
今回はここまで、この考え方を今の自分の立場もしくは役割にどのように活かすか。比較的、全部自分でしなければ学校現場では特に最後のポイントが難しい内容になってくると考える。
がしかし、できるだけ私は学校現場でもこの姿勢を貫いていくようにしている。個人をくわしく見ないということである。アピールするなら自分で行動を起こして、自分自身をマネジメントして、評価を受けなさいと指示しています。これは、社会がそうなっているので仕方がないと思います。これを学校現場で経験しないで、社会出てから「聞いていない」ではかわいそうだある。
徹底的にこちら側からアピローチを取らない努力。これが学校現場、特に高等学校では必要。