バッティングの理屈 落合博満
第3章 軸足の使い方「崩れたフォームから軸足の大切さを学ぶ」
ー正しいフォームでなければ、ごまかすこともできないー
崩れた時にはそこから修正する。これが、安定した打撃成績を残すために最も大切なことなのである。
例えば、とらえたと思ってボールの下に入っているとする。そうした場合はもっとボールの下を次の球で修正する。高校生でもこのぐらいの修正をしなければいけないということ。
「イチロー打法をまねしてはいけない」
ー理想的なフォームをイメージし、それに近づく努力をしようー
ところが、イチローは投手寄りに体をスウェーさせ、体重を右足に乗せてボールを叩く。私の考え方とは全く異なったスイングである。
どちらが正しいのか。どちらも正しいのである。これが、私のいう「打撃理論は多様であり、100人の選手がいれば100通りの打ち方がある」
イチローはヒットを打つことだけ、つまり好打者になることに専念した。
もうひとつ”ボール球もあえて打つ”という考え方も同じ。
イチローは、この2つのポイント(イチローが成功したので、あえて”常識”とは書かない)を覆した。それは、イチローのように野球をひたすら考え抜き、頭で考えたことを必死に体に覚えさせた選手だからこそ成功につながったのである。
いい形をある程度まで模倣してみる努力は大切だ。昔から、物まねのうまい選手は成長するという見方もある。
王さんはタイミングの取り方に苦しんだ末に右足を上げた負けだし、イチローは細い体でボールを強く叩くために右足を振った。私だって、どうしても右ひじが体の後ろに入りすぎるという悪癖を矯正するために、両腕を体の前に出すようにしたのだ。天才ではないから、自分のフォームを徹底的に考えた。そして、ほかの誰よりも多くバットを振ることで、考えだしたフォームを体に覚えさせてきたのだ。歴史に残る打法は、天才芸術家の名作ではなく、すべて苦闘の産物なのである。
否定はしない。しかし、納得できないし好きじゃないということがあると思う。
好きじゃないという感情は自分を保つ心理が働いていると思う。「これを認めると私が私でなくなる」と言った感じだ。その壁を越えることが”良い指導者”になるための条件ではないかと思う。
落合博満 バッティングの理屈 三冠王がかんがえ抜いた「野球の基本」